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東京地方裁判所八王子支部 昭和54年(ワ)1120号 判決 1985年4月17日

原告 宮島正子

右訴訟代理人弁護士 高山俊吉

同 安田寿朗

同 前田裕司

同 栗山れい子

被告 財団法人愛生会

右代表者理事 牛尾アイ

右訴訟代理人弁護士 原哲男

同 伊藤薫

同 高瀬太郎

主文

一  被告は、原告に対し、金一一〇万円及びこれに対する昭和五一年一二月八日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は被告の負担とする。

四  この判決は一項について仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告に対し、金六〇〇万円及びこれに対する昭和五一年一一月一九日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行の宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告は、昭和五〇年一〇月二三日、被告経営にかかる厚生荘病院(以下「被告病院」という。)の薬局調剤助手として採用され、同日から勤務を始めた。

2  原告の従事した作業内容とその環境

(一)(1) 被告病院における薬局員の作業は被告病院が主として入院患者を診療の対象としていたことから入院患者用の薬品の調剤と分包の作業を中心とし、その他薬局内の事務全般をその内容としてきた。

すなわち、薬局員の中心的作業である調剤、分包は処方箋に従って患者毎に一週間分ずつ、散薬は散薬でまとめて薬袋に封入し、錠剤及びカプセル(以下「薬剤」という。)はシートのまま別の薬袋に封入するというものであり、各患者に対する配布は各棟のナースセンターで看護婦が毎回分ごとに小分けして各患者に手渡していた。

(2) ところが、被告病院は昭和五一年四月ころ多種類の薬剤の調剤と投薬作業全体の能率増進を図るため(1)で掲記した投薬方法を改め、薬局段階で各患者に対する一回分の服用量を一包ごと機械的に調剤、分包するという方法を採用することとして、新たに分包機とタブレットフィダーを導入した。

(ア) 右分包機を使用するタブレットフィダーによる作業の方式は、処方箋を左手に持って患者名や薬品名を確認した上、右手を伸ばして回転式薬品棚に多数並べられてある薬剤の入っているタブレットフィダーの中から目的の薬剤の入っているものを取り出し右手で握ったまま同器に装着されているボタンをその都度拇指で押し、これを反復累行することにより同器底部の開口部分から必要量の薬剤をそれぞれ分包機上にセットされているフイルムの上の所定位置に落下させた上熱処理により一時に中圧ポリエチレン製用紙に分割包装するというものであった。

(イ) 原告は調剤助手であるにもかかわらず、右のような調剤分包作業を担当していたものであるが、タブレットフィダーを使っての調剤分包作業は右手拇指を多数回にわたって反復して屈曲させボタンを押して行うという点に特徴があり、原告は右調剤分包作業の三分の二以上をこなし、その作業は原告の薬局労働全体の七割程度を占め、タブレットフィダーによる調剤回数も一週間に実に四万回を越えるほどであった。しかも、原告は右作業ばかりでなく、薬品の製剤・管理・点検・補充・剤数計算その他諸物品の受渡しなどの一般作業の大部分を処理してきた。

(ウ) これを要するに、新機器導入後の原告の労働量は、従前ナースセンターで看護婦が行っていた分包作業を薬局の段階で完了させることになった影響の大部分をそのまま受け、それ以外にも前記薬局内における補助的作業にも従事しなければならなかったことから原告の労働は甚だしく過重となった。

(二) そのうえ、原告が働いていた当時の薬局長訴外沖田な可(以下「沖田」という。)の薬局員に対する労務管理は沖田のこと細かな性格とも相まって専権的なもので薬局内の労働環境は常に緊張していて耐え難いものであった。

このことは、沖田と共に在籍期間の長かった薬剤師河原木明が昭和四九年一二月に退職してからは、長期間勤務していた薬局助手鴨川佳代子を始め、昭和五〇年四月以降に採用された薬剤師や薬局助手がごく短期間のうちに次々と退職していったという事実が如実に示している。

現に、被告病院労働組合も昭和五二年六月には沖田の労務管理を全従業員の問題としてとりあげ、被告に対しあえて沖田の退職を要求することまでしているのである。

(三) また被告病院の薬局は、物的設備の面でも労働者の安全衛生や労働基本権の保障の点でも常識外の実情にあった。すなわち

(1) 薬局は、その広さの点でも薬局員がその作業全体を十分に遂行するには手狭であり、またトタン屋根張りの木造家屋であるため季節の変化に伴う寒暖の影響を大きく受け、沖田の管理方針もあって室温は薬局従業員の労働に適しない状態であることが多かった。

(2) 休憩時間は正午から午後一時までの一時間と午後三時からの二〇分間となっていたが、実際には正午を過ぎても沖田が指示しない限り正午の休憩に入ることはできず、他方午後一時の作業開始時刻は厳守するよう要求され、また、午後三時の休憩も沖田のその時の気分次第で左右され、実際には三時の休憩はほとんどとれないのが実情であった。

(3) 生理休暇は沖田が嫌うため、原告のみならず薬局員のほとんどがこれをとることができなかった。

3  頸肩腕障害の発症とその経過

(一) 原告は、昭和五一年一〇月ころから目に異常な疲れを感ずるようになり、その後間もなくしてから、右手拇指の付け根ないし手首辺りに疼痛を覚えるようになった。その痛みは右腕、肘部分にまで拡がり終始右腕をさすったり自宅で貼薬を貼るなどしなければ痛みが和らがない状態にまでなった。その原因は薬剤の調剤分包の際使用するタブレットフィダーにあると考えたので、原告はそれを左手あるいは両手で扱ってみたりなど種々工夫を試みたが作業能率が甚だしく低下するだけでその症状は一向に軽快しなかった。

(二) しかも原告の症状は昭和五一年一〇月から一一月にかけて更に悪化し、痛みは右肘から右肩にまで広がり、次いで頸部右側、背部右側肩胛骨下辺に重圧感を伴う激しい痛みを感ずるようになった。そのため歯をみがいたり髪をとかしたりあるいは、布団の上げ降ろしをすることが甚しく苦痛になった。そして同月半ばには右手に雨傘を持つこともできなくなる程症状は悪化した。

(三) そこで原告は、昭和五一年一一月一八日に被告病院で牛尾博昭副院長(以下「牛尾医師」という。)の診察を受けたところ、「頸肩腕症候群」と診断されたが、ゼノール湿布と牽引療法などが指示されただけで、それ以上の具体的な治療方針は示されず休養等の適切な措置もとられず、そのまま平常通りの作業に従事させられた。

(四) 原告は、被告病院内での治療によっても苦痛が軽減しないので、昭和五一年一一月二二日、労災職業病の専門医である玲仁会工藤整形外科において工藤厚医師の診察を受けたところ、「業務に起因する頸肩腕症候群」と診断され、直ちに作業を変えるかそれとも休養をとるかするように指示されたため、沖田にその旨の報告と要請をしたが、被告はそれを無視し原告に従前の作業を継続するよう要求したことから右整形外科への通院も原告は有給休暇をとらなければならない状態であった。

(五) しかもなおタブレットフィダーによる調剤作業に従事したため、原告の痛みはその後も軽快しなかったばかりか握力が極度に低下するなど次第に肉体的にも変化が生じ始め、食事の仕度等家事作業や起居動作も困難な状況に陥った。しかるに薬剤の調剤分包の作業は、年末年始の休暇中の服用薬剤の作りだめのために平常以上の労働が要求され、原告の労働条件はむしろかえって悪化した。

(六) 昭和五二年に入ると、原告の症状は更に首筋が痛み吐き気を催すようになり、薬局内での作業は右腕を左手で常時指圧するようにしなければ継続できない状態にまでなったので、原告は沖田に対し、医事課入退院係などへの配置転換を強く求めたが沖田はこれを無視し、タブレットフィダーの操作はしなくても薬局内に一日中坐っていることを命じ、原告はそれに従ったものの、長時間坐っていることや歩行することすら苦痛になってきたため、同年一月一〇日、職業病に詳しい専門病院である医療法人健生会立川第一相互病院で診察を受けたところ、「右拇指腱鞘炎、頸肩腕障害」と診断された。

(七) これを契機として原告は昭和五二年一月一二日から休職に入ったが、その生活は常時頸部にギブス様にタオルを強く巻きほとんど連日前記工藤整形外科に通院し、帰宅しては就寝という有様であった。

(八) その後原告の病状は徐々に軽快してきたので昭和五二年五月二〇日、原告はその要望に基づき被告病院の医事課の医療相談及び入退院受付事務を事務長代理を補助して担当することとして復職したが、当時の原告の症状は従前あった吐き気、頸部の拘束感・重圧感などはほとんどなくなり、自覚症状として残っていたのは疲れ易いということ、右手の握力低下としびれ感などであった。

原告が復職後担当した入退院係は、入退院に関する相談を中心とする事務であって、筆記作業や重量物の運搬という作業はほとんどないため肉体的な負担が少なく、同室勤務者としては他に婦長一人がいるだけで労働条件としては従前に比し好ましいものであった。しかし上司である事務長代理からは業務の指導を受けられず、また事務引継ぎもなされないまま事務長代理は同年の秋に突然退職したため、その前後にかけての原告の心労はかなり大きなものがあった。

(九) そして、昭和五三年七月、八王子労働基準監督署長は原告に対し、原告の右疾病に関して労災保険を給付することを決定し、その後原告は被告を通じてその旨の連絡を受けた。

(一〇) ところが、昭和五三年一〇月ころから再び症状が悪化して痛みが背腰部にまで次第に拡大したので、原告は再び工藤整形外科へ通院して本格的な治療をしなければならない状況になったが、その原因の一つは、復職後の入退院係の事務を遂行する際の前記ストレスにあり、他に労災認定後の被告の原告に対する挑戦的な態度に起因する心労であった。すなわち、精神的苦痛は頸肩腕障害を進行させる要因になるのであって労働環境の整備を含めこの時期における被告の原告に対する全体としての不誠実さが再発の大きな要因となっている。

(一一) その後被告は、昭和五四年一月四日付をもって原告を被告病院内の売店における販売担当の職務に配転した。しかし、そこでの業務は重量物の運搬など肉体的労働を伴うものであって頸肩腕障害を軽快させるのとは反対にリハビリテーションを妨げる極めて悪い業務内容となったため、原告の症状はその後は一進一退の状態を続け、現在においても右腕のしびれ感、頸部、肩部、背部の痛みは依然として続いている。

4  原告の頸肩腕障害と業務との因果関係

原告が罹患した頸肩腕障害は、薬局員の調剤業務としてタブレットフィダーを操作することによって発症したものであって、このことは次の事実からも明らかである。

(一) 原告はタブレットフィダーを使用操作するまでは健康で頸肩腕障害の症状は全くなかった。しかもその症状は肩こりや単なる上腕痛と異なり、目や右手拇指、右手首といったタブレットフィダーの使用操作と直接関係のある身体的部位から始まっている。

(二) 原告と同様の症状は、原告よりタブレットフィダー操作の頻度の少なかった同僚高柳一美にも現われており、同人の発症の部位と症状は原告の初期症状と極めて近似している。

(三) 原告の労災保険給付申請に対し八王子労働基準監督署長は申請どおりの労災認定を行った。同署長は昭和五〇年一二月五日付基発第五九号通達「キーパンチャー等上肢作業にもとづく疾病の業務上外の認定基準について」(以下「第五九号通達」という。)に基づいて認定を行ったものであるところ、右認定基準によると業務上認定の枠が著しく狭められる危険性を有する等の問題があるが、それにもかかわらず原告の疾病を業務に起因するものと認めたのである。

(四) 沖田は、原告の愁訴に対してタブレットフィダーを使う作業をやり過ぎたためであるとして業務に起因する疾病であることを認めているほか、工藤医師も原告が従事している作業内容を理解した上で業務起因性を認め、その作業からの離脱を勧告しており、また立川第一相互病院の担当医もタブレットフィダーを使う作業を直ちに止め休養するよう勧告している。更にまた、被告自身原告の労災申請に伴う請求書の中で業務起因性を認めているのみならず、労災認定後においても原告が治療のために通院する際の遅刻も遅刻扱いとせず、軽減勤務も公休扱いにするなど賃金差別をしていないのである。

5  被告の債務不履行責任

(一) 分包機とタブレットフィダーの導入に関する義務とその不履行

被告は薬局従業員の身体に有害な影響を及ぼすおそれのある薬剤調剤分包方式であるタブレットフィダーを導入してその作業をなさしめようとする場合、同作業に従事する従業員の適正な作業量、作業密度、作業時間、代替要員の確保の要否ならびに適正な作業環境などを予め調査分析し、当該薬局従業員に過度の労働負荷を原因とする健康破壊が生じないよう万全の対策を講ずべき安全保護義務があるのに、被告はそれらの義務を怠り漫然タブレットフィダーを導入した。

(二) タブレットフィダーを使用させる際の義務とその不履行

被告は、タブレットフィダーの導入後、その方式を用いた分包作業に従事する薬局従業員が現実の職場環境と作業条件の下で新しい作業方式によって健康状態に悪変を生じることがないかどうかにつき不断に注意をはらい、適正な作業量、作業密度、作業時間、代替要員の確保ならびに適正な作業環境を指示実現することにより、当該薬局従業員に過度の労働負荷を原因とする健康破壊が生じないよう万全の対策を講ずべき安全保護義務があるのに、本方式導入後被告は、その管理運営のすべてを沖田に任せ、同薬局長が右の義務を果たさぬばかりか薬局従業員の抑圧統制のみを事として作業環境を最悪の状態にすることを漫然放置した。

(三) 疾病発症患者に対する義務とその不履行

被告は薬局従業員のタブレットフィダー操作の過程で肉体的生理的に危険な徴候が表れていることを認識したときは、その拡大と深刻化を未然に防止するために、すみやかに当該従業員の精密な診断検査を行なうとともにタブレットフィダーの作業から当該薬局員を離脱させ医療措置を尽くし休養をとらせるなど健康回復に向けた具体的な対策を講ずるほか治癒を困難にする職場の環境条件などの諸要因をすみやかにとり除くべき義務があるのに、被告はこれらの義務を怠り治癒に向けた総合的効果的対策を講ずることをせず漫然タブレットフィダーの作業を継続させたり、適切な配置転換の措置をとらず、原告の強い希望で休職に入り復職した後にもリハビリテーションの機会に関して正しい措置をとらずかえって原告の健康回復を阻害する職場に敢えて配置転換をするなどしてその病状をさらに悪化させ健康回復を著しく遅延させた。

6  原告の損害

(一) 原告は昭和五一年一〇月に頸肩腕障害に罹患して以来現在に至るまで通院、治療の日々を送ってきているものであるが、被告の無策と原告の健康回復に対する甚だしい妨害によってその症状は一層深刻化し、三児を抱え肉体的にはもとより精神的にも取り返しのつかないほどの被害を被っている。ことに被告は労災指定病院であって従業員の健康保持に関し特段の配慮をなすべき立場にありながらずさん極りない対処をしてきたその措置を考えるとき、その対応は社会的にも許されないものである。原告は右慰藉料として被告に対し金五〇〇万円を請求する。

(二) 原告は原告訴訟代理人らに対し本件訴訟を委任し、弁護士費用として金一〇〇万円を支払う旨約束した。

7  よって、原告は被告に対し、債務不履行に基づく損害賠償として金六〇〇万円及びこれに対する原告が最初に頸肩腕障害と診断された日の翌日である昭和五一年一一月一九日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実中、原告が薬局調剤助手として採用されたとの点は否認し、その余は認める。

2(一)  同2(一)(1)、(2)(ア)の各事実は認める。(イ)、(ウ)の各事実は否認する。

薬品の調剤、管理、点検、補充、剤数計算等はすべて薬剤師の行う仕事であって、原告はそれらの補助業務を行っていたにすぎない。

(二) 同(二)の事実中、原告が就職した当時薬局で働いていた者は沖田以外に薬剤師、助手各一名がおり、そのうち薬剤師は間もなく退職したことは認めるが、その余の事実は否認する。

(三) 同(三)の事実中、休憩時間は正午から午後一時までと午後三時から二〇分間とされていたことは認め、薬局が手狭であり室温等が労働に適しない状態であったとの点は否認する。

3(一)  同3(一)、(二)の各事実は知らない。

(二) 同(三)の事実中、原告が牛尾医師の診察を受け頸肩腕症候群と診断されたこと、原告に対し湿布と牽引療法とが指示されたことは認め、その余は否認する。

(三) 同(四)ないし(六)の各事実は知らない。

(四) 同(七)の事実中、原告が昭和五二年一月一二日から休職したことは認め、その余は知らない。

(五) 同(八)の事実中、原告が昭和五二年五月二〇日に復職し事務長代理の補助として入退院係を担当することになったことは認め、復職時一定の回復をみていたとの点は否認する。

(六) 同(九)の事実は認める。

(七) 同(一〇)の事実中、昭和五三年一〇月ころから疼痛が背腰部にまで拡がったことは否認し、工藤整形外科に再び通院することになったことは知らない。

(八) 同(一一)の事実中、原告に対し売店販売担当への配転命令を出し、原告がそれに従って売店勤務を始めたことは認め、その余は知らない。

4  同4冒頭の事実は否認する。

(一) 同(一)、(二)の各事実は知らない。

(二) 同(三)の事実中、原告の疾病に対し労災認定がなされたことは認める。

(三) 同(四)の事実中、工藤医師が頸肩腕症候群と診断したこと、被告が通院のための遅刻を遅刻扱いとせず、軽減勤務も公休扱いとするなどしていたことは認める。

5  同5、6の各事実は否認する。

三  被告の主張

(業務起因性について)

原告の障害は業務に起因するものでないことは次に述べるとおり明らかである。

1 作業実態

(一) タブレットフィダーの使用状況

(1) 昭和五一年当時、調剤分包作業の対象となる入院患者数は合計約二三〇名であり、右作業は週のうち二日、しかも午前中に限って行われていたものである。

(2) 当時投薬されていた薬剤のうち、大きさ・形状等からタブレットフィダーによることが適当とされていたものは僅かにカプセル剤ではエクセラーゼほか七種類、錠剤ではインテンザインほか一二種類で、これ以外の多種類の薬剤についてはタブレットフィダーが使用されることは極めて例外的であった。

(3) タブレットフィダーのボタンを押す回数は薬剤一個あたり一回ということになるので、昭和五一年当時の平均投薬数を当時の処方箋に基づいて算出すると、週単位で一万八〇〇〇回位となり、仮に原告が主張するように調剤作業の三分の二を原告が担当したとしてもそれはおよそ一万二〇〇〇回となり、これを週二日で行うとすると一日あたり約六〇〇〇回で、仮にこの作業を連続的に行ったとしても一分間に一二〇回ボタンを押すとすると(熟練した人ならこれ以上の回数が可能であるが)、およそ五〇分で右作業は完了してしまう計算になる。

このように、タブレットフィダーを使う作業は原告にとって過重な労働となるものではない。

(二) 調剤分包作業の実態

(1) タブレットフィダーの操作はそれだけが連続して行われることは少ない。すなわち、分包板一〇枚位の調剤作業が終了すると一区切りつけて次にパイルパッカーによる包装作業に移ることになり、仮に二人の薬局員がタブレットフィダーとパイルパッカーの操作とを分担していたとしても、前記のようにタブレットフィダーの操作は連続して行えば五〇分程で完了してしまう作業である。しかも薬局業務の遂行のために週単位、一日単位の大まかなスケジュールは作成されていたがそれ以上に細かいスケジュールはないのであるから、タブレットフィダーを使用する者が全体の流れを見ながら適宜操作時間を調整し得るのである。従って、タブレットフィダーの操作は一定の姿勢で長時間連続して作業に従事しなければならないタイピストやキーパンチャー等の職業とは、比較が困難なほどの差異がある。

(2) タブレットフィダーの操作は他の仕事の合い間に行われていたとはいえ、他の仕事とて特別多かったとはいえず、しかも原告が薬剤業務に従事していた期間中原告以外に薬局助手がいなかった時期は昭和五一年八月一日から同年九月一五日までの僅か一か月半であった。

(三) 作業環境等

投薬の対象者も二四〇名前後しかおらず前記のように原告の労働量は決して過重なものといえなかったばかりでなく、正午から午後一時までの昼休みと午後三時から二〇分間の休憩時間もきちんとあり、午後四時ころからは薬局内の掃除、後片付け等の作業に入り午後五時には終業となっていたのである。

また原告の従事した作業には極度に神経や身体を疲労させるようなものもなく、照明、室温等の労働環境も決して悪いものではなかった。

2 従事期間

原告がタブレットフィダーを使い始めたのは昭和五一年五月ころであり、それから六か月もたたない同年一〇月ころに本件疾病が発症したと原告は主張する。しかも前記のとおり、タブレットフィダーを使うのは週のうち二日、それもほとんど午前中だけであったことを考えると、原告が実際にタブレットフィダーを使う業務に従事した期間は、第五九号通達にいう「六か月程度以上」という期間に比べて極めて短いものといえる。

3 症状経過

原告は、昭和五一年一二月二八日以降タブレットフィダーを使う業務から全く離れ、以後現在に至るまで身体的負担を生じる業務には就いておらず、しかも、昭和五二年一月一二日から同年五月二〇日まで休職し、治療に専念してきたにもかかわらず、復職時点においても原告の症状は消退をみておらず、更に昭和五三年一〇月ころには再発し、以来現在に至るまで症状の消退はみられていない。

4 タブレットフィダーは現在まで約二〇万個販売されているがこれに起因すると思われる職業病発生の報告は全くなされておらず、また薬局業務の現場からも同器の使用は疲労をもたらすものであるなどという苦情も全くなされていない。

5 原告の障害は、やせて肩が下っているといった原告の体質的要因(事実、原告はタブレットフィダーを使用する以前である昭和五一年一月三〇日、右肩と上腕が痛い旨を訴えて、被告病院で丹下穹医師の診察を受け、牽引療法が試みられている。)や長期間に及ぶ別居、離婚といった厳しい家庭環境から来る精神的疲労に起因するものである。

(債務不履行について)

1 被告は調剤方法としてタブレットフィダーを導入したがこれは他の多くの病院の例にならったものであって、その導入にあたっては事前に沖田が他の病院の使用例を確認し、しかも予じめ試験的に使用したうえ導入したものである。

2 また、被告病院は原告が頸肩腕の障害を訴えてきてからは担当医が適切な治療を施すとともに、原告をタブレットフィダーを使用する作業から切り離し、更に休職の申入れについては直ちにこれを承認し、復職とその後の治療についても原告の希望を最大限にしんしゃくしこれに協力してきた。

3 以上の次第で、被告の原告に対する処置とその対応に原告主張のような責任あるいは違法性は全くない。

第三証拠関係《省略》

理由

一  請求原因2(一)、(二)(ア)の各事実は当事者間に争いがない(ただし、タブレットフィダー導入の時期については争いがある。)。

二  被告病院における調剤分包作業とその変遷

前記当事者間に争いのない事実に《証拠省略》を総合すると次の事実を認めることができる。

1  被告は、昭和一四年七月に結核療養所として創設され、昭和二六年九月に財団法人となり昭和三三年七月から一般患者の病床も新設し昭和四二年八月から従前厚生荘療養所として運営されてきた被告病院を改称してこれを被告の付属病院として経営してきたものであるが、被告病院における診療の中心は入院中の老人と結核患者で一般外来の患者は原則としてその対象外とされてきた。

2  従って、被告病院における薬局の調剤業務は主として入院患者を対象としてなされてきたが、昭和五一年四、五月以前における調剤業務の内容は概ね次のとおり処理されてきた。すなわち薬局員は医師の処方箋に基づいて各患者別に一週間分の処方を単位として散薬は散薬でまとめて調剤して薬袋に入れ、薬剤は薬剤でシートのまま別の薬袋に入れ、これらを各病棟のナースセンターに渡していた。ナースセンターでは看護婦がそれぞれ手作業で薬局で調剤されてきた薬を各患者が服用しやすいように一回分ごとに分包してきた。

3  被告病院は右のように調剤と分包が薬局とナースセンターとに分化していたのを薬局内ですべて一本化して処理し、それにあわせて調剤分包作業を能率化するため昭和五一年四、五月ころ一部の病院でそのころすでに使用されていた調剤用具としてのタブレットフィダーを導入し、かつ一回分ごとの服用薬の包装化を自働的に処理する大型の分包機を薬局内に設置した。

ところで、本件で問題とされているタブレットフィダーは専ら薬剤の調剤を能率的に処理するために考案された器具で、従前は錠剤やカプセル類はすべていちいち匙を使用して容器からこれを取り出していたのを簡単な手指作業で短時間に調剤作業を処理できるようにしたものである。すなわちあらかじめ多量の薬剤を各種類ごとに区分してそれぞれタブレットフィダーに充填して置いて必要の都度、右器具を手に持ってその下部にあるボタン状の装置を手指で押すと、その度数に応じて右器具の底部に設けられた開口部が自動的に開閉して内部に充填されている薬剤がその都度一個ずつ落下する点がタブレットフィダーの構造上の仕組みであり、その操作は手指によるボタン状の部分の反覆押運動をその特徴とする。

4  しかし、タブレットフィダーの操作それ自体は手指の反覆運動を主体とする簡単なものであったが、その取り扱う対象物が人の健康を左右する薬剤であり調剤を内容とすることから、その取り扱いについては医師の処方箋に対する正確な読解とそれに基づく慎重かつ正確な作業を要請され、その作業はその性質からして精神の緊張を要する点にまた一つの特徴があった。

5  被告病院薬局ではタブレットフィダーを使用しての薬剤の調剤分包作業は原則として毎週月曜日と金曜日の午前中の勤務時間(午前九時から一二時まで)をこれに充て各患者の一週間分の調剤分包を目安として作業を進めてきたが夏休みや年末年始の休暇等にかかる場合は事前にそれに備え調剤分包のいわゆる作り溜めをしてきた。しかし、昭和五一年当時被告病院に入院していた結核、老人患者の約二三三名全部が薬剤処方を受けるわけではなく、その中には結核のための特別の化学剤やその他の散薬の調剤処方を受ける患者もいたし、また錠剤やカプセル類の薬剤でもかなりの種類のものがその形状やその硬度などによってタブレットフィダーを使用できず従前どおり匙等によって調剤するので、薬剤の全部がそのままタブレットフィダーによって調剤されるものではない。

6  もとより薬局員の仕事はタブレットフィダーを使用しての調剤とその分包作業に限定されていたわけではなく、散薬の調剤分包作業のほか薬品の管理、点検、補充、剤数計算、物品の受渡しなどを含め広くその他薬局内の一般作業全般にわたっていたことはいうまでもない。

以上の各事実を認めることができ、右認定に反する証拠はない。

三  原告の作業内容とその量などについて

《証拠省略》を総合すると次の事実を認めることができる。

1  原告は昭和五〇年一〇月二三日に被告に雇われ、以来被告病院薬局において助手として勤務してきた。

そして、被告病院が昭和五一年四、五月ころタブレットフィダーを導入してから同年一二月二八日ころまで原告は薬剤師としての資格はなかったけれども薬局長沖田な可からその能力とその人柄を買われ薬剤師高柳一美とともにタブレットフィダーを使用して薬剤の調剤と分包作業に従事してきた。しかし、薬剤師高柳は研修に参加し、また検薬等に携わっていたこともあってタブレットフィダーを使用しての調剤作業は原告の方が高柳の仕事量よりも多くその負担率は原告の方が約三分の二以上を占め、また右作業は原告の薬局助手としての全仕事量の約七割に相当していた。

2  ところで、タブレットフィダー使用しての原告の調剤分包作業の順序と方法は大要次のとおりであった。

(一)  調剤作業は室のほぼ中央に置かれた移動式の作業台に対して行われるが、原告は足高の椅子に軽く腰を浮かすように坐ってこれに向い、医師の処方箋を左手に持ってその内容を読み取りその処方に従って右手を伸ばして作業台に接して置かれている三段の回転式薬品棚からあらかじめそれぞれ薬剤ごとに充填されているタブレットフィダー(約二七〇グラム)をラベルを見て選び出し、これを右手に持って右肘を浮かした格好でそのボタン状の部分を右手拇指で反覆して押しながら作業台上に置かれた一〇枚位の分包板の一枚ずつにある二一個の窪み(一日三回分として一週間分の服用量)に次ぎ次ぎと必要量の薬剤を落下させて調剤する。回転式薬品棚にない薬品は席を立って別の収納棚あるいは薬品庫からこれを取り出して時には匙等で分包板上の窪みに配剤して行く。

(二)  このようにして作業台上に置かれた約一〇枚の分包板に対する配剤が終ると分包機がある場所に移動して分包機を使用して分包作業に入るが、右分包機は分包板上に配剤された薬剤を分包板一枚分ごとに機械的操作を施こし熱処理によって中圧ポリエチレン製用紙で患者の一回ごとの服用の便に一包ずつ包装化するものである。

3  原告がタブレットフィダーを使用して調剤分包作業に従事したのは薬局内の作業日程に従い月曜日と金曜日の二日間で、しかも原則として午前中であり、それ以外の日時における勤務時間は散薬の分包作業、注射薬のナースセンターへの補充、薬品の管理・点検などのほか広く薬局内の一般作業全般に携さわってきた。

4  ところで、原告がタブレットフィダーのボタン部分を右手拇指を反覆して押す頻度、すなわち薬剤一個ごとにボタン部分を一回押すことになるが、それについて原告は週に約四万回を越え、これに対し被告は多くても一万二〇〇〇回を超えることはないとそれぞれ主張する。しかし、原告主張の右回数は本件証拠上直ちに是認できない。また被告がその回数の根拠とする当時の処方箋(乙第八号証)を原告本人の供述(第二回)に照らして検討するとタブレットフィダーを使用して調剤する薬剤の種類、量は被告が把握しているそれよりかなり多いことが明らかであるから、これらを総合的に考察すると、原告のタブレットフィダー操作の回数は週単位で四万回を超えるとはいえないまでも被告主張の回数よりもかなり多くそれを上回っていたことは否定しがたいところである。

以上の各事実を認めることができ右認定に反する証拠はない。

四  原告の罹病とその経過について

当事者間に争いのない事実(請求原因に対する被告の認否3(二)、(四)ないし(六)、(八)、4(二)、(三)の各事実)に《証拠省略》を総合すると次の事実を認めることができる。

1  原告は昭和五一年一〇月ころから目が異常に疲れるようになり、そして同年一一月初めころからは右手拇指の付け根辺りが痛み始め、その痛みは次第に右手首、右肘、右肩と拡がっていった。原告は時折、患部を手でさすったり揉んだりしていたがその痛みは一向治まらず、かえって増々ひどくなって更に頸部から右背中へと拡散し、日常の起居動作である歯みがきや布団の上げ降ろしといったことにさえ苦痛で支障を感ずるほどとなった。そこで、原告は一一月一八日に被告病院の丹下医師に診て貰らい投薬と湿布の手当をして貰らったほか頸部の牽引療法を受け、以後一二月一日までほとんど連日にわたって出勤の都度合間をみて頸部の牽引治療を受けてきた。

2  しかし、原告の症状は一向に好転する気配がなかったことから途中の一一月二二日に原告は日野市南平にある専門の工藤整形外科で工藤医師の診察を受けた結果、頸椎の運動制限もなく深部筋腱反射等も正常であり、諸種の運動テストもすべてマイナスであったが、前頸部と背部に圧痛点が認められたことからその治療として頸部の牽引と温熱療法を受け、鎮痛消炎剤も投薬され、あわせて筋力を増すため体操をするよう指示された。

3  原告は右のように治療を受けながらもタブレットフィダーを使用しての調剤作業を休止したわけではなくその日程に従って従前どおりこなし、時には右手を使用することを避けて左手指でこれを操作してきたが、その症状も好転しなかったこともあって一二月初めころに薬局長である沖田にその症状と苦痛を訴え、一二月七日には沖田の指示に基づいて改めて被告病院副院長である牛尾医師の診断を受けた。

牛尾医師は原告の主訴である右上肢痛などに基づいて原告を診察した結果、原告の症状は頸肩腕症候群に該当し、しかも右前腕部に腱鞘炎を併発していると診断し、従前と同じように引き続いて頸部の牽引療法を受けるよう指示するとともに投薬を与え、かつ患部に対する湿布を施こした。

4  その後、原告は被告病院で頸部の牽引療法を受けながら年末年始の休暇を控えての調剤の作り溜めに従事し、一二月三〇日から年末年始の特別休暇に入り正月明けの一月五日から出勤したが、体調は悪化する一方だったので昭和五二年一月一〇日に職業病に関する専門科が設置されている立川第一相互病院の職業科で中添三郎医師の診察を受けた。その結果「右拇指腱鞘炎、頸肩腕障害」と診断され直ちに仕事を休むよう勧められたので、原告はその診断書を添えて被告に休職したいと申入れ同月一二日から休職に入った。

5  休職後の原告は毎日のように工藤整形外科に通って治療に専念し、また妹から家事を手助けして貰ったことなどからその症状も二月ころから徐々に好転して五月ころには体調も復職に耐えられるようになったので同月二〇日から医事課で患者の入退院相談係として復職するに至った。

その間原告は八王子労働基準監督署長に労災認定の申請をし右監督署長は工藤医師の業務に起因するものかもしれないとの診断結果に基づいて同年七月三一日付をもってその旨原告の疾病を業務上のものとして労災給付金の支給決定をした。

6  しかし、昭和五三年四月ころから再び腕や肩が痛み出したので被告病院で牛尾医師の指示のもとに温熱療法等を受けたが、その後同年九月半ばころからその痛みが背腰部まで拡散するようになり、そのため症状の好転にともない通院を中断していた工藤整形外科に再び通って治療を受けるようになった。その治療は昭和五五年一〇月以降月に二、三回とその回数こそ少いけれども延々現在に及んでいて工藤医師はこのように何年にもわたって通院する患者例は少なくその原因は原告が昭和五四年一月四日付をもってその意に反し被告病院内の売店掛に配転されたことなどによる心因的なものが大きくこれを左右していると診断している。

以上の各事実を認めることができ(る。)《証拠判断省略》

五  原告の疾病と業務との因果関係について

1  原告の疾病はその症状において右手拇指の付け根部分の疼痛に始まり、それが次第に時間の経過にともなって肘、腕、肩、頸、背中へと拡散し、しかもその部位は体の上部右側部分に限定されていて生活上も歯をみがいたり布団の上げ降ろしなど主として上肢運動をともなう諸動作において著しい障害をきたしている点にその特徴があるところ、右疾病については工藤整形外科の工藤医師及び立川第一相互病院の中添医師はそれぞれ独自の診断に基づいてそれは頸肩腕症候群もしくは頸肩腕障害に該当するとし、この点は被告病院副院長牛尾医師の診断結果も同じであったことはすでに認定したとおりである。

2  ところで、《証拠省略》によると右のような疾病(以下「頸肩腕障害」という。)は昭和三〇年代ころキーパンチャーやタイピストの職業病として問題とされるようになって以来特に注目されてきたものであるが、右のような疾病が業務に起因するかどうかについてはもとより業務内容とその密度、従事期間など業務に関する諸般の事項を総合的に考察すべきものであることが認められる。しかし、頸肩腕障害のような疾病はその発症要因として右のような作業要因のほか個体要因としての生活、身体状況も考慮されなければならず、特にいわゆる「なで肩」のような場合は肩甲帯を支持する筋肉群の筋力等の関係から一般的に頸肩腕障害になり易い傾向にあることは《証拠省略》からこれを認めるに十分である。

そして本件疾病が業務に起因するというためにはその間に相当因果関係があれば足りるものであって、その場合業務が疾病の唯一の原因であることを必要とするものではなくたとい他に競合する原因があっても業務が相対的に有力な発症原因であれば足りるものと解するのが相当である。

3  タブレットフィダーによる調剤作業は右上肢を浮かし右手拇指を反覆運動させることを内容とする作業で、その作業態様それ自体をみる限り右手拇指を反覆使用する点で頸肩腕障害の一般的発症要因となり得る作業形態であることは否定できない。しかも、右作業は薬剤の調剤という正確かつ慎重さをこの上なく要請される作業であり、この性質からしてかなりの精神の緊張と疲労をともなうものであることも容易に肯定されるところであろう。

ところで、原告は薬剤師の資格がなかったにもかかわらず薬局長の信頼のもとに右のような調剤作業に従事してきたが、右作業に従事してから約五、六か月後に発症し、しかもその発症の部位も反覆使用する右手拇指の付け根から始まり時間の経過とともに肘、腕、肩、頸、背中と拡散して行き、その部位も、体の右側部分に限定され、それに右手拇指腱鞘炎を併発している点は、右手拇指を反覆使用するその作業態様との間にきわめて親近性を有していて原告の疾病がタブレットフィダーを使用しての調剤作業に関連し、それが発症要因として大きな要素を占めこれが原因となっているものと推認させるに有力な事実というべきである。

4  確かにタブレットフィダーを使用しての調剤作業も決して間断なき連続作業ではなく、週二回の月曜日と金曜日のそれも原則として午前中の勤務時間に限定され、しかも途中に分包作業が入り、また錠剤やカプセル類の中にはタブレットフィダーを使用しての調剤に適合しない薬剤もかなりあって、原告のタブレットフィダーのボタンを押す頻度、すなわちその作業密度は三、4で認定したとおり被告が主張する週一万二〇〇〇回をかなり上回わっていたことは否定できないけれども労働量として客観的にみて過重であったといえるかどうかについては少からず疑問がある。しかし、その労働量が原告の疾病とはまったく無縁なほど軽微でその発症をもたらすことはあり得ないほどのものであったとはとうてい考えられない。このことは当時の原告のタブレットフィダーを使用しての調剤作業がその作業全体の三分の二以上を占め、原告の全労働量の約七割に相当した点との関連においてこれを考えても是認されるところである。それにそもそも原告が罹患した頸肩腕障害はその発症要因として作業の内容や環境からの神経疲労も考えられることは証人上畑鉄之丞の証言からも明らかであるところ、タブレットフィダーを使用しての調剤作業はすでに認定したとおりこの上ない正確さと慎重さを要する精神的緊張度の高い作業であったうえ、その職場環境は上司の資質に起因する管理統制の厳しさから融和に欠けるなどかなり問題とすべき事項があったことは本件証拠上これをうかがうに十分である。このような作業態様とその特質、更には右のような職場環境を背景として、原告とともにタブレットフィダーを使用して調剤作業に従事していた高柳一美でさえも右作業後は拇指の付け根の部分が疲れて痛いように感じたとする証拠《証拠省略》すら存在するのである。

更にまた、原告の身体状況についてみても、確かに、原告はいわゆる「なで肩」で胸郭出口が狭く一般的に頸肩腕障害に罹患し易い体型のため原告を治療した工藤医師も原告に対し筋力の増強を図るため体操をすることを指示しており、また原告はタブレットフィダーが導入される以前の昭和五一年一月三〇日に右肩と上腕痛を訴えて被告病院で牽引療法と投薬を受けていることが《証拠省略》から明らかであるが、右のように治療を受けたのは僅かに一日のみであることは《証拠省略》に照らして明白であってその後本件発症に至るまで原告が頸肩腕障害を疑わせるような疾病に罹患しその治療を受けていた事実を証明する証拠はまったく存在しないし、原告が体型的に「なで肩」であるとはいいながら頸肩腕障害発症の大きな原因ともなる頸椎や脊椎の異常変型などのいわゆる基礎疾病を有していたとの証拠もない。

もっとも、原告は本件疾病が発症した昭和五一年一〇月ころから途中一時中断があったとはいいながら現在に至るまで工藤医師の治療を受けていて同医師もこのように何年にもわたって通院する患者例は少ないと述べていることはすでに認定したとおりである。しかし、原告の頸肩腕障害もその発症から現在に至るまでその症状に変化がなかったわけでなく途中休職することによって著しく好転し医事課の入退院係として復職するまでになっており、その後の再発は労災認定やその補償、配転などをめぐって被告との雇用関係に円滑さを欠き悪化したことによる心因的なものが大きな原因をなしていることは《証拠省略》からも十分うかがえるところであって、原告が現在に至るまでその障害の治療にあたっているからといって直ちに原告の頸肩腕障害がタブレットフィダー使用による調剤作業と無関係なものでその間に因果関係がないとすることはできない。

5  以上これを要するに4で検討してきた諸般の点も3で指摘してきた点を左右するに足りずその他原告が当時離婚をめぐって夫と対立し心身ともに不安定になっていた事実(本件証拠上これを認めるに十分である。)も右の点を覆えすに足りるものとは解されない。

原告の頸肩腕障害は原告の体型的特質などその発症に競合する原因があったかもしれないが、その有力な原因は原告が昭和五一年四、五月以降五、六か月の間にわたって携わってきたタブレットフィダーを使用しての調剤作業であり、これが主因となって右使用と直接関係する右手拇指の付け根部分の疼痛から始まったもので、右疾病と右調剤業務との間には相当因果関係があるものと認めるのを相当とする。

六  被告の安全配慮義務違反について

1  原告は、タブレットフィダー導入にあたって使用者である被告は従業員の健康保持のため事前に作業時間、作業量、作業密度などを調査分析し、それに従った適正労働の配分と従業員に対して健康配慮を図るべき義務があると主張する。

一般的に言って使用者が作業能率を増進するため新らたな機械器具を職場に導入する場合にはその機械器具が従業員の健康に対し与える諸影響に対し事前に調査、検討してそれに基づく適正な労働配分をなすべき義務があることは所論のとおりである。

本件において被告は他の病院でタブレットフィダーを使用して調剤作業を効率的に処理していたことからこれに倣って導入することとし、事前に薬局長沖田がその作業状況を見分し、また導入にあたっては一応試験的にその効用を確かめながらこれを正式に導入したもので、その導入にあたって特にタブレットフィダーによる作業がその作業特徴によって頸肩腕障害の発症要因となるかどうかの点については格別調査検討をしなかったことは《証拠省略》に照らしてこれを認めるに十分である。

しかし、すでに検討してきたようにタブレットフィダーは器具それ自体としては作業員の健康保持に格別影響を及ぼすものではなく、問題となるのはその使用方法であるが、被告はその作業時間も毎週月曜日と金曜日の二回とし、しかも原則として午前中の勤務時間に限定しており、作業密度も決して間断ない程高いというものではなく、原告の労働量も過重といえるか疑問であること、原告の頸肩腕障害はタブレットフィダーによる作業を有力な原因としながらも他に競合する原因があって、それに弁論の全趣旨から明らかなとおり過去においてタブレットフィグー使用による同種障害の発症事例は見受けられなかったことなどに照らすならば、前記のように被告がタブレットフィダーを導入するにあたって障害発症の可能性や原告の健康度について事前に調査検討しなかったことをもって直ちに使用者に課せられた安全配慮義務に違反があるといえるか問題であり疑念がある。

2  しかしながら、使用者は作業に従事する従業員の健康保持についてはもとより、従業員が業務によると否とにかかわらず健康を害しそのため当該業務にそのまま就かせるときは健康保持上問題があり、もしくは悪化させるおそれがあると認められるときは速やかに従業員を当該業務から離脱させて休養させるか他の業務に配転させるなど従業員の健康について安全に配慮すべき雇用契約上の義務があるというべきである。

本件において、原告の上司である薬局長沖田は昭和五一年一二月初めころ原告からその病状を訴えられ、また被告病院副院長牛尾も同月七日には自ら原告を診察して原告の病状は頸肩腕症候群であり、しかも右前腕部に腱鞘炎を併発していると診断したのであるから、遅くともこの時点において被告としては右手拇指を使用することを作業内容とするタブレットフィダーによる調剤作業から原告を離脱させて他の作業に従事させるか、休養を与えるかなどして原告の健康について十分な安全配慮を図るべきであったのにそのような措置を講じないで原告を従前どおりそのままタブレットフィダーを使用しての調剤作業に従事させ、折柄年末年始の休暇を控え原告はその症状に耐えながら調剤の作り溜めに携わってきたものであって、この点において被告に安全配慮義務の履行に違反があったことは否定できないところである。

なお、原告は被告が昭和五四年一月四日付をもって原告を医事課入退院相談係から売店係に配転したりしたことをもって被告に安全配慮義務違反があると主張するけれども、復職後の原告の病状は多分に心因的なものが大きく占めていてその程度も重いものでなかったことは先に検討したとおりであり、それに売店における原告の作業の実態については必ずしも明確であるとはいえないのでこの点の主張は直ちに採用できない。

七  損害

1  原告の慰謝料について

(一)  頸肩腕障害はその治療にあたって身心の休養を大きな要素とするものであってできるだけ早い機会に身心の休養を与えればそれだけ症状もより緩和し早期に健康回復につながることは本件証拠上これをうかがうに十分である。

原告は昭和五一年一二月七日以降もタブレットフィダーを使用しての調剤作業に従事してきたものであって、この点において被告に責任があることは先に指摘したとおりであり、特にその時期は年末年始の調剤作りに追われて原告の症状もより悪化し耐え難い状況になったことは原告が昭和五二年一月以降まったく作業に従事せず同年一月一二日付をもって休職に入っていることからも肯認できるところである。

(二)  ところで、原告はその間三人の幼児をかかえ障害の苦痛に耐えながら作業に従事し、生活を営んできたものであって、このことは《証拠省略》に照らして明らかであり、原告がこれにより精神的にも著しい苦痛を味わったことはいうまでもない。

そこで、右の諸点にくわえ、原告の頸肩腕障害はタブレットフィダーを使用しての調剤作業にその有力な原因があること、被告は病院経営者として被告病院をして原告の右疾病について現に診察させてきたこと、その他本件証拠上明らかな原告の右疾病に対する被告のこれまでの対応の仕方など諸般の点をあわせ考えると原告に対する被告の慰謝料は金一〇〇万円をもって相当と考える。

2  弁護士費用について

原告が本件代理人に本訴の追行を委任し、かつ報酬の支払を約束したことは弁論の全趣旨により明らかであるところ、本件事案の性質、認容額等に鑑みると、弁護士費用は金一〇万円が相当である。

八  まとめ

原告の請求は被告に対し慰謝料金一〇〇万円と弁護士費用金一〇万円合計金一一〇万円及びこれに対する被告が原告を頸肩腕障害であると確定した日の翌日である昭和五一年一二月八日から右支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度において正当として認容し、その余の請求は失当として棄却すべきものである。

よって、右趣旨に則り、かつ訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九二条、仮執行の宣言について同法一九六条を各適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 神田正夫 裁判官 松嶋敏明 櫻井良一)

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